あべの即応寺 今月のお話~バックナンバー~

「慈光」通信を読む(2024年12号より)

  

仏教とは心の師となるも、心を師とはせず

 

九州北部では毎年夏になると気になるのは台風なんや。あれが来ると大変なんや。去年9月18日やった。今まで来たことがない台風が来ると、脅されましてね。瞬間風速70メートル。私は瞬間風速50メートルは経験したことがある。コンクリートの電柱が折れましたね。それよりも20メートル凄い。これはもうお寺の門も崩れるなと思った。その時ね、もう本当に何というか、失望して夜寝られんやった。

 

そうすると、あの時、台風はどういうわけか、九州は直撃せんで、鹿児島のほうに下っていった。そして、どういうわけか知らんが、Uターンして鹿児島から北上してきたんや。覚えてませんか。だから気になりましたね。嫌やなぁーと。できたら、南から北上するんやったら、西の方へ行って、長崎の方へ行ってくれたらいいなと。もし、東に行くんやったら大分の方回ってくれ。北九州だけは来んでくれ、そう思いましたよ。あの時ね、よそ様に台風行ったらお気の毒やから、どうぞ私の所へ来て下さいと言う方がおられたらお目にかかりたい。これが自分の心の正体ですよ。人の事は考えてない。自分の所に来さえしなかったらいいんですよ。そういう根性が私たちの一番気づかなくて信じている心ですよ。

 

ですから、自我とかいろんな表現がされますけども、仏教を一言で表す言葉の一つが、『涅槃経』にあります。「仏教とは心の師となるも、心を師とはせず」。自分の心を非難して育てて下さる先生ですよ。少なくとも自分の心を中心においてはいけませんよと言う言葉です。後に、源信という平安時代の方が、「昇沈の差別は心に在りて行に非ず」という言葉で表しています。平安時代、天台宗のお坊さんです。一生懸命修行した人です。その方が晩年に残した言葉です。

 

この「昇沈の差別」が出る前の言葉は「すなわち知る」です。やっと分かったぞ、というわけです。何が分かったか。覚るか迷うかの違いは、私の心が批判され破られるかどうかの一点であると。どんな行を積んだか、どんなことを学んだではない。これは修行した人からの言葉やから、なかなか説得力がありますね。

 

もう一回言いますよ。覚るか迷うかの違いは、私が一番信頼しとる心が破られるか破られんかという一点にあるんやと。決してどんなことを学んだか、どんな修行を積んだかではない。私にとって忘れられん言葉ですよ。迷いの元は全部心なんですよ、自分の。疑ったことがないのは、自分の心ですよ。その心を批判するものこそが仏法です。

(九州教区德蓮寺前住職・伊藤元)

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年11号より)

  

失ってはじめて見えてくるもの

 

困ったことが起こったら不幸せになる、そんなことありませんよ。良いことが起こったら幸せになる、そう思うかもしれませんが、そんなことが続いたら人間は堕落しますよ。むしろ、困ったことが起こると、そのことで知らされることがありますね?

 

この3年間、コロナウィルスの蔓延で皆さん困りましたね。私、若い頃に先輩から聞いて忘れられん言葉があります。「今、現に自分の身に与えられている恩恵は失ってしまうまでわからんぞ」ということを聞きました。ずっと残ってますよ。今現に自分がいただいとる恩恵、それは失ってしまうまで分からない。皆さん、どうでしょうか。

 

コロナウィルスが蔓延していろいろ行動が制限されました。自由に外に出歩くことができなくなりました。制限されたことで、自由に出歩くことがどれだけ幸せだったか思い知りましたね。自由に行けるということがどれだけ幸せかと言う事は、行けなくならないとわからない。今も私たちがいただいてる恩恵があるんですよ。失ってないからわからんだけじゃないですか?

 

私のことで申しましょう。私は80代後半でもうすぐ死ぬ頃ですよ。私の連れ合いは80ちょっとですよ。歳とるとね、連れ合いというのは大きな顔をし出すね。食事の時、私の横に来て食べるんですね。もう来んでもいいんですけどね。それで食べながら私の顔見てね、「ほっぺにご飯付いとる」「おかず落とした」そればっかりやね。時々思いますよ。「うるせーな」って。こんなこと言う人おらんかったら、どれだけ楽やろうかと。そういう連れ合いのほっぺたにもご飯ついとる。

 

その時に思いましたね。「うるせーな」と思いますけど、「うるせーな」と言うことを言う人が居なくなったら、ああいうことを言ってくれる人がおるだけで、十分温かかったんやなと、多分私は思い知るだろうなと思います。これは家では絶対に言いません。皆さん方どうですか。失ってしまうものは今いただいとるんや。わからんだけですよ。

 

皆さん若いからまだお元気でしょうけど、元気でおれることの有難さは、元気が失われた時に思い知るんですよ。お友達の有難さ、家族の温かさ。いる間は分からんのじゃないですか?既に与えられとる恩恵は失うまでわからんと言う言葉に、ちょっと心を置いていただくといいですね。浄土真宗の教えはそういう教えですよ。

(九州教区德蓮寺前住職・伊藤元)

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年10号より)

  

いのちは、生死(しようじ)するいのち…

 

もう一年程前になるのですが、ある日、突然に新潟県のある方から電話がありました。何事かと思いましたら、お医者さんから「筋萎縮側索硬化症」だと言われたと仰るのです。その病気になると、全身の筋肉の働きがどんどん奪われていき、歩けなくなる、立っていられなくなる、物が握れなくなる。そのうちに、ものが言えなくなり、息をすることも、食べることも、排泄することもできなくなるのです。今はこうして電話もかけられますし、つまずかないように用心して歩けばお参りにも何とか行けます。今のうちにお礼を言いたくて、電話をさせていただきましたということでした。

 

そして、その時、その方が、自分は今まで一生懸命に生きてきたつもりでいたけども、しかしこうなってみて、はじめて思い知らされたのは、今まで自分は生の方しか見ていなかった…。「生死するいのち」という言葉をいつも聞いていたけども、しかし、生死するいのちは、少しも見ずに、生の方だけを見つめて生きてきたと仰るのです。いかに自分の生を広げ、豊かにするか、その生の方ばかりが自分のいのちだと思って生きてきたけれど、「いのちは生死するいのちだったのですね。この病気を宣告され、今はじめて人間として生きるということの出発点に立たされた思いがしています」と言われたその時の言葉が、今も私の心にずっとあるわけです。

 

私たちは、このいのちを否定するものが死だと思っているわけです。生のほうにいのちがあり、そのいのちが死と共に終わり、死と共に無になると思っています。しかし、そうではなく、死もいのちの営みなのです。

 

明治時代に清沢満之という方が出られて、私たちに大きな道を開いてくださいました。その清沢満之師が「生のみが我等にあらず。死もまた我等なり」と言い、死もまた我等なりというのが人間としてのいのちなのだと仰いました。

 

いのちは、生死するいのちなのです。ですから、死を考えるということは、決して生を否定することではなく、死を考えることなしに、生を本当に考えるということは成り立たない。新潟の方は、そのような宣告を受けて、初めて生きるということの出発点に立ったと仰っているのです。

(元九州大谷短期大学長・宮城顗)

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年9号より)

  

気がつくという一点で“超える”…

 

我々は、人生でいろいろな問題にぶつかるが、問題にぶつかってなかなか解決しない時は“秘決”がある。それは自分を変えることです。自分を変えるしか手はないのです。問題は変わらないのです。私は力が弱くて、こんな難しい問題はとうていテコに合わないから、ちょっとやさしいものに変えてくれというわけにはいかないのです、人生は。

 

それならば、自分を変えるより手はない。私がどんなに願っても、インド国内航空のストは中止にならないのです。もうちょっと汽車をすかしてほしいと願っても、汽車は満員、これはどうしようもない。それでもかまわないから、ツアーを決行しろと旅行社に言ったって、なんともなりません。そうすると、最後は自分を変えるより手はない。それに気がついた。「ハハン、これはわしを変えるしか手はない」。つまり、安く行こう、楽に行こうという根性さえ変えたら良い。そしたら、存外ちゃんと行けた。面白いものです。

 

人生でいろいろな問題にぶつかって、それがなかなか解決しない時は、自分を変える。もうそれしか手はない。いつでも楽に自分を変えることができるのが念仏です。自分を頑張っているのが念仏ではないのです。「自分は変えられない」と言っているのが、一番念仏のない人間の姿。楽々と自分を変えていくという道しかないのです。

 

自分が間違っていたことに気がついて、「ああ、ずるい根性を持っとったなぁ」と気がついて、パッと超えて行く。私の場合でも、楽に行こう、安く行こうと、汚い根性で計算していた。そのために道がふさがっていたのです。そういう自分に気がついたら、ガラッと変わってきた。

 

だから、気がつくというこの一点で、私たちはいかなる悪も超えてゆける。自覚だけが待たれているのが弥陀の本願であります。

(元教学研究所長・仲野良俊)

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年8号より)

  

本当の供養とは…

 

先祖から賜ったこの身が、ただごとではない。この身というものがただごとではない命だというその驚き、歓びです。一言でいえば、自分自身に感動する、自分の人生に感動する、そういうことがあって、はじめて供養になるのでしょう。それがなかったら、結局は形だけで終わる。先祖供養といっても、何か心に区切りをつけて、これでやれやれ、気が晴れましたということで終わるのでしょう。

 

そういうただごとでない命という目覚めにおいて、その命を大事に生きる。そういう歩みとして、私に真実の法を求め、聞かしめ、「聞法」(仏法を聞く姿勢)へと促す存在として先祖が受け止められた時、その先祖は諸仏となるのでございます。諸仏というのは、私をして聞法へと押し出し、そしてその歩みを護り念じてくださる、そういう徳において諸仏というわけです。

 

ですから、私が聞法者になる時に、先祖は諸仏になるわけですね。どれだけ立派な供養をしても、自分のいのちを粗末に生きているならば、それは供養でもなんでもない。そういうことを思います。

(元九州大谷短期大学長・宮城顗) 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年7号より)

  

譬えば、人ありて西に向かいて

行かんと欲するに百千の里ならん

-善導大師-

 

この地球上の生物のうちで、人間ほど奇妙なものはないでしょう。この間も、ジェット機が墜落して、133人の人命が失われました。自分がこしらえたもので自分が殺されるという矛盾は、他の生き物には見られません。鳥を見れば空を飛びたがり、魚を見れば水をくぐりたがり、そのためにわざわざ不自由な生活をも我慢する。他の生物はお腹が満つれば眠るだけですが、人間はお腹が一杯になれば、眠るだけで満足できず、退屈で生きておれないのかも知れません。

 

一体、人間とは何であろう。動物の一種と片づけられていますが、それにしても変わった動物であります。『譬えば、人ありて西に向かいて行かんと欲するに』とは、動物として何の疑いも持たずに生きていたものが、何のために生きているのか、何を目指して生きてゆくのか、心の内部から問いが込み上げてきたことをいうのであります。そういう所から振り返ってみると、人間とは親子・夫婦・兄弟・親戚・友人等々とつらなって生きている、もっとも悩み多い存在であったのでした。愛し憎しみ泣き笑いつつ、ずるずる黒闇の深淵に引きづり込まれているのです。

 

誰も自分をどうすることもできない。その無力な自分を頼ってすがりつづける周囲、その自分もまた他のものにしがみつきつつ生きているよりほかない。こうした我が身の心の姿に気づく時、どうかして、力強い足場がほしい、どうしたら力強く生きられるかという願いが、同時に動いてくるのであります。気がつかない時には別に苦悶はなかったが、気がついてみると、これは新しい苦しみであります。

 

しかし、元の苦のない所に帰ろうとは思えない。苦しいけれども捨てないで、光を求めて進む以外に道はない。思えば、人とは真実の光を求めて彷徨う久遠の旅人であったのでした。『譬えば人ありて西に向かいて行かんと欲するに』とは、人の人たる意味を述べている声であります。

(元教学研究所長・蓬茨祖運)

 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年6号より)

  

 「三帰依文」

 

私たちが親しんでいる「三帰依文」(仏・法・僧の三宝に帰依することの表明文)があります。その言葉の中に、「無上で甚深にして微妙(みみょう)なる法」との出遇いが大切であると勧められています。

 

ちっぽけな、身勝手な人間の解釈にはまらないほどの深さ、広さ、豊かさを内容にしている仏法。私たちは、それを背景にして今ここにこうして生きている。それに出遇い、自分の思い込みを超えてこそ、限りなくわが身を丁寧に生きることができると教えて下さっています。

 

気づかされてみれば、本来、落ち込む必要もなく、目先のことばかり考えてクヨクヨする必要もないのでしょう。

 

人生、生きてみれば誠に豊かで頭の下がることばかりだと知らされてまいります。ですので、その出遇いをご縁にしてこそ、いよいよ教えられ育てられて歩むわが身をいただくのであります。限りなく人生を生きることができるのであります。人生に限界はありません。

 

しかし、その中にあって、閉ざしてしまっているわが身の狭さが知らされてまいります。したがって、「無上で甚深にして微妙なる仏法」を仰ぎ、同時に知らされてくるわが身自身の狭さとたたかうこと。それが自らを生きることであります。

 

誠に人生は、わが身自身とのたたかいであります。

(九州大谷短期大学長・大江憲成)

 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年5号より)

  

 

遺 言

 

若い頃、私は死ぬ怖さをあまり感じませんでした。死ぬことを平然としてみとめ、「死ぬときにあまり見苦しくなく死んで行きたいなぁ」などと思っていました。だから、正月二日の書き初めには、かならず遺言を書きました。

 

でも、私は数年間、その遺言書をつづけるうち、自分で自分を信用しなくなってきました。思いを込めた覚悟の遺書ですのに、毎年、書きたいことが違うのです。自分も、私をめぐる周辺の人も、現象も変化しつつあるのですから、変わるのが当然なのです。ひとつの情け、ひとつの憎しみ、ひとつの困難を通過してさえ、それまでの自分ではありえない人間に、死んでからまで自分の思いをはせたいという根性が間違いかもしれません。

 

正岡子規の〝病床六尺〟に、

 

 悟りというは、

 いついかなる場合にも

 平気で死ぬことかと思っていたが、

 本当の悟りとは、

 いついかなる場合にも

 平気で生きていることであった。

 

とありますが、誠に人間の書き置きなんて、生きている間にいった言葉、行いが、みんな書き置きみたいなもので…。遺言はふだんの日、元気なときに過ごしている仕事や生活の中にのこしてゆくべきもので、いのちある刻々、生きている間のすべてが遺言であると…。

 

充実した日々を送りたいものです。

(「同朋選書」より)

 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年4号より)

  

 

本当の言葉

 

さまざまな声がこの世の中に流れています。いろいろな言葉が私たちのまわりに語られています。しかし、どの声もどの言葉も私たちを落ちつかせ、本当に満足するものではありません。それどころか、いよいよ私たちの心をかりたて、あらぬ方へ追いたてているようです。

 

損だとか得だとか、良かったとか悪かったとかいいながら日も足らずに走りまわって、本当にくたびれはてているのではないでしょうか。

 

身の疲れは風呂に入って休めば気持ちよくなおります。しかし、今の人の疲れは、風呂に入っても休まらぬ疲れ、言うなれば心の疲れでありましょう。仕事をしても落ちつかず、休んでも安まらぬ心。それはすべて、世の中のどこにでもいっぱい聞こえている声や言葉が、つもりつもって私たちを内部からかき立てているからであります。しかし、いったい人間にはそんな言葉しかないのでしょうか。

 

あるのです。本当の言葉が。私たちのいちばん深いところ、私たちが心とよんでいるもののもっと奥に、この言葉は、言葉にならずに叫んでいるのです。

 

それは、「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄)と喚びかけるいのちの根源語、『南無阿弥陀仏』。その言葉に耳をすませましょう。私たちは言葉からは離れられないのだから。

(「同朋選書」より)

 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年3号より)

  

 

不 安  

 

不安とはいったい何なのでしょう。おそれとちがって、何かはっきりした対象があってのことではありますまい。

 

危険や苦しみのこれといった表象と結びつかないもの、言うならば、いつも漠然としたもの。気分的なもの、理由のないもの、それゆえにこそ、かえって不安の不気味があるともいえます。

 

私の方から何かを問うというよりも、逆にいつも私自身を問いかけるようなもの、私自身を根底から揺り動かし、そこから一切の問いが生まれるという、つまり、人間だけに出てくるものといえるでしょう。

 

そう考えてみますと、人間の歴史を通して、その興亡の悪戦苦闘の歩みは、実はこの不安克服の歩みではなかったか。人間が不安でないという状態はどういうことなのか。

 

そのままの状態であるかぎり、たとえいかなる状態の中であろうとも、人間は不安をまぬがれることはできないのではないか。

 

もし不安を克服する道があるとするなら、むしろ、不安自体の持つ意識を、自己自身の上に見出すより他に道はないのではないか。その道を尋ねることこそ、人生の一大事と示し、不安とは真実の自己に目覚めようとする生命の要求(促し)と受け止められたのが宗祖親鸞聖人でありました。

(「同朋選書」より)

 

 

 

 

 

 

「慈光」通信を読む(2024年2号より)

  

 

無用の用  

 

※世間で役に立たないとされているものが、

 用い方によって、きわめて大切な役割を

 果たすことがあるという譬え

 

実用という点からいえば、すべての花は無用なのかも知れない。しかし、机の上に一輪の花を投げ入れた花びんはどこにでも見受けられる。やはり人間は無用を知っているらしい。このように人間の賞する花のいのちの悲しさは、花びんの花も大地の花も、人のいのちに似ていよう。

 

われらが芸術を賞する心は、この無用の用を賞する心につながる。宗教もまた世にもっとも無用の用とみなされている。そこにわれらは実用の用はかぎりある用であり、無用の用はかぎりなき用をなすものであることを知り得る。人生の深さはそこにあるからである。

 

    沖の小島にひばりがあがる

    ひばりすむなら畑がある

    はたけあるなら恋がある

 

この詩には何の実用もない。だが、くりかえし朗唱するとき、人生の喜びも悲しみも、温かさも淋しさも、われらの胸にみちて無用のゆたかさと、かぎりなさを覚える。

 

    すずしさや 弥陀成仏のこのかた

 

人生の荒浪にもまれた一茶にも、そよ吹く風を縁として、こうも限りなく真宗念仏の悦びを詠みすて得る信仰の世界があった。

 

私は、しずかに無用の用の尊さを思う。

(「同朋選書」より)